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信頼して良いお方 絶対に後悔はありません

皆様こんにちは!

今日は日々の黙想からです。

詩篇115篇9〜18節


今日の御言葉では「主に信頼せよ」
という言葉が3度も繰り返して書かれています。


私たちはそのお方を信頼して良いのです。
信頼しても絶対に間違える事のないお方がいる、
これは私たちにとって本当に大きな祝福です。

私たちの人生の中には、
信頼していたのに裏切られたとか、
信頼して損をした後悔した、
そう思える出来事がたくさんです。

実は私は10日間ほどの滞在で、
日本へ一時帰国をしていました。

日本で滞在している間、
大きなニュースが二つ目に止まりました。

一つは闇営業問題について、
もう一つは参院選選挙についてです。

特に闇営業問題について、
芸人さんや吉本社長の会見は、
一日中流されていました。

しかし今回私が特に注目したのは、
参院選挙で当選したある1人の議員の、
パワハラ問題についてであります。

激しい戦いに勝利して、
見事に勝利を得た議員に、
事務所でのパワハラ問題が、
発覚したという事です。

有権者さんはある意味、
信頼をして彼に投票したのでしょう。

しかしその信頼を見事に裏切ってしまうような、
考えられないパワハラを行なっていたという事です。

彼を信じて、
彼を信頼して、
彼に自分の未来を託して、
清き一票を入れた有権者にとっては、
裏切られたーという思い、
怒りや憤りの思いが交錯している事でしょう。

聖書はこう教えています。


義人はいない。1人もいない。


これが神様の持っている、
人類に対する正しい評価です。

義人と呼べる人は、
1人もいないという事です。


確かに良い人はいます。
素晴らしい人格者と呼ばれる人はいます。

しかし神の目から見たときに、
義人と呼べる人は1人としていない、
ということを教えているのです。

現実に私たちはこの事を、
人生の中で何度も体験しています。

信頼していた人から裏切られた。
この人は信頼できると思ってたのに、
やはりこの人も人間であったと。

そうです。
この世に完全な人間なんていません。

どんな人でも、
欠けのあるヒビの入った器です。
間違えることがあり、
失敗してしまうことがあり、
偽りの道を歩んでしまうこともあるのです。

人間とは弱くてもろい存在です。


しかし感謝なことに、
私たちにとってただ1人唯一、
頼れるお方がいるという聖書の教え。

それが
主なる神様。
イエスキリスト。

このお方を信頼して、
後悔することは絶対にありません。

信頼して良いのです。
信じて従っても良いのです。
このお方に我が人生をかけても良いのです。


今日の御言葉15節にこうあります。

あなたがたが主によって祝福されるように。
主は、天と地を造られた方である。



私たちの信じるべきお方、
信頼しても絶対に間違いのないおか、
このお方は天と地を造られたお方です。

はじめであり終わりであるお方。
全知全能であるお方。

このお方を信頼して、
失敗したとか後悔したとか、
信じなければ良かったとか、
絶対にそうなりません。


私たちにとって信頼するべきお方がいる。
これこそ大きな祝福であると思います。

今日も主を信頼して歩みます。

ハレルヤ!!


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2019-07-26 : 日々の黙想 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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祈りとは私たちのいても良い居場所

今日は聖書黙想のアップデートです。

聖書箇所は詩篇109篇1〜15節


愛をもって仕えていた相手から、
裏切られてしまったという経験、
皆様にはございますでしょうか。

今までこんなに良くしてあげたのに、
自分の時間も経済も体力も、
多くのものを犠牲にして仕えたのに、

相手からは憎しみとか悪によって、
私に報いてくるということ。

裏切られたーと思える、
そんな経験をしたことがあるかもしれません。

今日の詩篇の作者は、
まさしくそれを経験しました。


4節と5節にこうあります。
彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。
私は祈るばかりです。
彼らは、善にかえて悪を、
私の愛にかえて憎しみを、私に報いました。



こんなにしてあげたのに、
その愛に対して悪をもって、
憎しみを持って私への報いとするのです。

そんな状況の中で、
詩篇の作者が行なったことは、
神様への祈りであります。

その祈りの内容が、
6節からずっと記されていますが、
その内容を見れば、
こんなの祈っても良いのかと思える、
そんな恐ろしい内容の祈りであります。

しかしこの祈りの内容に現れているほど、
詩篇の作者はこの時に祈りの中にいた、
失望の中に置かれていたと言えるのです。
それほど苦しかったという事です。

ここから今日祈りについて考えます。

祈りとは何でしょうか。
それは天の父なる神様との対話の時間です。
天の父なる神様と一対一で深く交わる時間です。

まるで親と子が一対一で向き合って、
それぞれの状況を話し合うように。

私たちは祈りを通して、
天の父なる神様との対話の中に入るのです。

祈りという事を考える時に、
多くの場合何か格好の良い言葉、
丁寧な言葉を使って語る必要があると、
そう思われている場合があります。

しかし祈りとはそうではありません。

子と父とが対話しているように、
天の父と対話をするのが祈りです。

痛い時は痛いと言えば良いのです。
辛い時は辛いと言えば良いのです。
失望にある時はその通りに言えば良いのです。

何か良い言葉や正しい言葉を使って、
神様に話をすることが祈りではなく、
自分の正直な気持ちを打ち明けることが、
神様への真実な祈りであるという事です。

そういう意味では、
今日の聖書箇所でなされている祈りは、
あまりにも正直すぎる祈りであります。
こんな事祈って良いのかなと思える祈り。

しかし神様はそれらの祈りを、
間違いなく受け止めてくれるお方です。

この様に祈っても良いのです。
いや祈るべきであります。

何故ならば私たちは神様の子、
神様は私たちの父であるからです。

父と子という関係にあって、
私たちは何でも話すべきです。

格好の良い言葉を使う必要なんてない。
それを聞く人々に感動を与える言葉を、
あえて選んで語る必要も全くない。

自分の心にある思いを、
そのまま天の父に打ち明けるのです。


打ち明けて良いのです。


もしかしたら、
他の場所で自分の思いを、
そのまま打ち明けてしまえば、
聞く人によっては躓きとなるかもしれませんし、
非難される事になるかもしれません。

信仰者たる者が、
どうしてそんな事を言うのかと、
裁かれてしまうかもしれません。
そんなこと言ってはならない。
もっと忍耐が必要であると。

だから信仰者は、
問題があっても、
人々から裁かれる事を恐れ、
否定的な目で見られる事を恐れ、
本当の事を言うことができない、
それが同じ信仰を持っている人であっても、
本心を打ち明けることができないのです。

本来教会とは神の家族。
喜ぶ者と共に喜び、
泣く者と共に泣くべき場所。

しかしそれができない現実というのが、
教会の中にもあると思うのです。

だけど安心してください。

天の父には何を言っても良いのです。
私たちの弱さを裁くことなく、
全てを受け止めてくださるのです。
これが祈りであるという事です。


祈りとは、

私たちがいても良い居場所です。

心の内にある全てを打ち明けて良い場所です。



天の父はそれら全てを受け止めてくださり、
必要な慰め、励まし、助け、癒しをくださいます。

本当に必要ならば、
相手を少しばかり懲らしめる、
ということも起こるでしょう。

とにかく私たちは、
天の父に祈ることです。
父と子が対話をするように、
痛くて苦しんでいる事を、
天の父にそのまま告白する事です。

これが本当の祈りです。

おしまい。



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2019-07-16 : 日々の黙想 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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戻るべき場所があるって幸せなこと

今日は日々の聖書黙想から。

詩篇107篇10〜22節

まず今日の聖書箇所からわかることは、
やみと死の陰に座す者、
悩みと鉄の買えとに縛られている者がいると。

そしてそうなる原因がしっかりとあって、
それは彼らが神の御言葉に逆らっていたから、
いと高き方のさとしを侮ったからだという事です。

結局のところ、
私たちの人生の苦しみ悲しみって
どこから来ているのかと言うと、
その根本にはいつも、
神様の御言葉から離れてしまい、
単に自分の想いの中で生きてしまう、
自分の願うままに生きてしまう、
ということにあるのだろうと思います。

どうして世界はこんなに悪い世界ですか。
神様がいるということならば、
どうしてこんな酷い世界になったのですか。
どうして神様はこれを許されているのですか。
そういう言葉をよく聞きます。

しかしそうではない。

神様に何か責任があるかのように、
私たちは考えてしまうのでありますが、
実はそれは神様に責任があってではなく、
私たちのがわに責任があるという事です。

神様に問題があっての事ではなく、
私たちのがわに問題があっての事です。



聖書にこうあります。

イザヤ59章1〜2節
見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、
聞いてくださらないようにしたのだ。




神様に問題があってではなく、
神様にそれをする力が無かったのではなく、

私たちの何が問題だと??

罪だって!!

すなわち神様の御言葉から離れ、
肉の思いの中で生きる事、
心の赴くままに生きる事、
そこに問題があると言っているのです。


私たちの人生に何か難しい試練が起こる中で、
まず私たちがやらなければならないことは、
何故こうなったのか誰が悪いのか、
そういう犯人探しではなくて、


まず聖書に戻ること!!


聖書に戻り御言葉を読み黙想始める時、
神様は必ず私たちに必要な御言葉をもって
語りかけてくださるという事です。

私の何が問題だったのか、
悔い改めるべきは何であるのか、
これからどう歩んでいくべきなのか、
選択するべき正しい方向を教えてくれるのです。


まずは他人ではなく私からです!!


私が神様の御言葉に立ち返る事です。
そこから平安な歩みが回復されていくのです。


今日の本文の13節を見ればこうあります。


この苦しみのときに、
彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から救われた。



主の御心は私たちを苦悩に置く事ではありません。
主の御心は私たちに平安な道を与える事です。

その道を歩めるために、
必要な御言葉は聖書に全て記されています。

そこに生きていくことができるならば、
私たちの人生平安の中で間違いのない人生となります。


神様の御手をしっかり掴んで歩みましょう。
それはすなわち御言葉を掴んで離さないことです。
御言葉の価値観から離れてしまわないことです。

そこに私たちの人生の、
勝利があり、
救いがあり、
真理があるのです。

どれだけ辛く苦しい試練があっても、
間違ったと思える道を歩んだとしても、

私たちには神様の御言葉という、
戻るべき素晴らしい場所がある。
本当に感謝なことです。

緑の牧場に伏させ、
憩いの水のほとりへと導かれる、
主の真理である御言葉に、
今日も真の安息を得るのです。

平安



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2019-07-13 : 日々の黙想 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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縛られていませんか? キリストにある自由を得るために

皆様こんにちは!

今日は聖書からのメッセージです。

テーマはキリスト者の自由についてです。


早速ガラテヤ書にはこう書かれてあります。


ガラテヤ5章1節
キリストは、自由を得させるために、
私たちを解放してくださいました。
ですから、あなたがたは、しっかり立って、
またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。



キリストが来られた目的について、
それは私たちに自由を得させるためです。
解放してくれるためであるということです。

キリストがこの世に来てくださり、
十字架で死に復活をされたことにより、
それを信じる私たち一人一人には、
自由が与えられているという事です。
すでに解放された者として生きているという事です。

では私たちは何から自由を得たのですか。
何に縛られていたという事でしょうか。

それは律法主義的な教えであります。

私たちクリスチャンとは、
律法主義的な教えから、
完全に解放された者として、
そこから自由を得た者として、
生きているのだという事です。

ところがですよ!!

多くのクリスチャンが、
今も律法の中に閉じ込められてはいないか、
クリスチャンとしての自由を持っていないのではないか、
そう思わされているのであります。

クリスチャンだから、
こうしなければならない、
ああしなければならない、
こうあるべきだし、
こんな事あってはならないという感じ。

例えば!!

私たちはクリスチャンだから、
教会に行かなければならないという件について。

もちろん私たちクリスチャンは、
毎週日曜日に教会に集って、
私たちの神様を共に礼拝しています。

しかしそれは律法によることではありません。
律法によって定まっているからではありません。

私たちが日曜日に教会に集まって、
神様を礼拝するという行為は、
恵みから与えられている行為です。

イエス様の福音の恵みを覚えるときに、
あまりにも感謝で、
あまりにも嬉しくて、
感動するあまり、
礼拝したくなるという事です。

奉仕にしても、
献金にしても、
伝道の働きにしても、
何にしても、

全ては恵みから始まる事です。

クリスチャンだからそうするのではありません。
クリスチャンとされるという、
神様の驚く恵みに授かる事ができたから、
だからそれに対する応答として、
礼拝、献金、奉仕、伝道、祈り、黙想、
それらの行為が起こってくるという事です。

そこには一切矯正はありません。
義務とか無理やりはありません。
縛られているのではなくて、
自由から行われている事なのです。

自分の意思で自ら、
そこに向かって生きるという事です。

そこには喜びしかないのです。
感謝と賛美しかないのです。

この恵みという道から、
クリスチャンは決して外れてはなりません。


しかし!!


とても残念なことに、
クリスチャンとして生きる人々が、
何かこう喜びを感じていないというか、
感謝も感動も全くないというか、
単に惰性で生きているかのような、
そんな状況に置かれているのではないでしょうか。

そうなる理由として考えられる一つの事は、
やはりその人自身が神の恵みを忘れている、
神の恵みではなく何か自分がやろうとしている、
肉の力で、肉の経験で、肉の知恵で、
それらを行おうとしているという事です。

つまり縛られているという事です。

こうでなければという思いに、
こうあるべきだという思いに、
縛られているという事です。

もしクリスチャンとしての生活に、
今はあまり喜びを感じないという事ならば、

その人はもう一度、
神の恵みの中に入っていかれることをお勧めします。



どうすれば良いのでしょうか???



祈りと御言葉の中に入っていくことです。


これは私自身が体験している事です。
もし祈りと御言葉の生活が失われるならば、
私自身牧師としての働きを続ける事はできません。

神様の恵みがなければ、
絶対に不可能な事です。

私は現在まで14年間、
神様の恵みに背中を押していただき、
牧師として働くことができました。

自分の力、自分の知恵、自分の方法、
によってならばとっくに倒れていたでしょう。

私自身がこの14年間努力したことがあるとすれば、
神様の恵みにしがみついたことであると言えます。

すなわち祈りと御言葉の生活です。

祈りと御言葉の生活の中でこそ、
キリストのくださる恵みを発見します。

祈りと御言葉の生活の中でこそ、
キリストの恵みに戻ることができます。

祈りと御言葉の中でこそ、
活き活きとしたクリスチャンライフの為の、
栄養素が全て含まれているという事です。

キリストの恵みに留まり続ける、
唯一の方法が何かと言うと、
祈りと御言葉の生活を絶やさないことです。

キリストの恵みの中で生きる人は、
強制されてではなく、
義務からではなく、
無理やりでもなく、

心から喜んで感謝して、
クリスチャンライフを生きる選択をします。

クリスチャンだからではなくて、
クリスチャンとされたから、
そこから来る感謝と喜びによって、
クリスチャンライフが伴うという事です。

神様の恵みによって、
クリスチャンとされた私たちが、
キリストにある自由を持って歩めるように、

縛られた者ではない、
自由な者として歩めたら感謝です。

おしまい。



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2019-07-11 : 豊かなクリスチャンライフについて : コメント : 0 : トラックバック : 0
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ブログを書きまくってる目的

皆様こんにちは!

こちらは聖書のメッセージを専門で書くブログです。
これ以外にも牧師が好きなことを語るブログもやってます。
牧師のブログ 略して牧ログです。
興味のある方はこちらからどうぞ!

牧ログは主に伝道的な意味を込めたものです。
位置的には伝道の“扉”の“更に前の扉”的なものです。

何とかして少しでも多くの方に、
聖書の御言葉を届けたいという思いで書いています。
時にふざけた事も書いているかもしれませんが、
大きな心でご容赦ください。笑


しかしおふざけばかりでは気が引けるので 笑
真面目に聖書からのメッセージも書いていこうと。

おふざけブログを見た方が、←いつの間におふざけブログに笑
こちらの聖書ブログまで関心を持ってくれたら、
こんなに良いことはありません。
まあそういう小さな期待も込めつつ、
これからもたくさんの記事を書こうと思ってます。

実際ブログを二つも運営するのは大変なことです。
そこまで私も暇ではありません。笑笑

でも他の時間を犠牲にしてでも、
ブログを書く時間を持つことに、
多くの意味があると今はそう思ってます
(後でまた変わるかもしれませんが。。)

何故ならば日本宣教について考える時に、
やはり今はもっと種蒔き伝道が必要ではないか
そう考えているからです。

私が伝道者として基本としている御言葉であり、
働きをしている中で大きな励ましとなる御言葉です。

詩篇126篇5〜6節
涙とともに種を蒔く者は、
喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、
束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。

種を蒔かなければなりません。
蒔くことなしに収穫はありません。
収穫の喜びに預かりたいならば、
種蒔きの働きを忠実に行うことです。

御言葉にもあるように、
種を蒔く作業には涙が伴います。
簡単にできる作業ではありません。

私も一度米の苗を植える仕事を、
1日だけ手伝ったことがあります。

1時間もすれば足腰がブルブルと震えます。
その後1週間は筋肉痛の痛みで、
まともな生活ができなかったことを覚えています。

種蒔く作業は簡単なことではありません。
しかしここを無視して収穫はないのです。

日本は現在も99%以上の方々が、
福音から離れた所で生きています。

その様な方々に、
先に救いを得られた私たちが、
ありとあらゆる方法を持って、
福音の種蒔きの働きをしていく事です。

爆発的なリバイバルは、
すぐには起こらないかもしれません。

そう。一つ一つです。

小さくても良い、
確実に一人二人と救われる事、
これが本当に大切な事だと思います。

その為にはその様な人々に届く言葉を、
私たちがしっかりと学び語っていく事です。

それがすなわち私にとって、
プロレスの記事を書く事だし、
育児についての記事を書く事だし、
音楽についての記事を書く事でした。
これからもテーマ増えるかもしれませんが。笑

プロレス好きな方に聖書の言葉を
育児に励んでいる方に聖書の言葉を
音楽の好きな方に聖書の言葉を

という願いを持って、
熱心にふざけながら書こうと思ってます。

明らかに今までの中島の路線とは、
違う路線を歩んでいるようですが、


ご心配なく!!笑笑

気は確かです!!笑笑


46歳になった中島は現在、

好奇心旺盛

でございます!


主のためならば、
何でもチャレンジをしていこうかと。


間違っていたら、
元いた場所に戻ってきたらいい。

これからしばらくはブログを通して
真剣にふざけていこうかと思います。

皆様の祈りに励まされます。
これからも応援お願いいたします。

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LJPC

Author:LJPC
アメリカのニューヨークとニュージャージーの2箇所で日本語によるキリスト教会(プロテスタント)を行なっています。日々の聖書黙想や様々な主題テーマについて書いていきます。

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